• HOME
  • 会社案内
  • 送料・お支払い
  • 特定商取引法に基づく表示
  • お問合せ
  • サイトマップ
  • お買い物カゴを見る

坂本龍馬







 1835〜67 享年33
土佐の商人郷土・坂本家の二男として生まれた龍馬は、19歳の時剣術修業の為江戸に向かい千葉道場に入門、のち脱藩。幕臣で蘭学者の勝海舟の門に入り、強い思想的影響を受ける。同志・中岡慎太郎と共に薩長同盟を成立させた後には、長崎で亀山社中を作り海運業をおこす。亀山社中はのちに三菱創業者の岩崎弥太郎や陸奥宗光の所属する海援隊となる。「船中八策」で近代国家を構想、後藤象二郎を介して山内豊信を動かし大政奉還が実現した。並はずれたビジョンをもって歴史を大きく動かした龍馬だったが、新生日本を見ることなく刺客によって撃たれた。

1838〜67 享年30
土佐の大庄屋の長男として生まれた慎太郎は、1861年土佐勤皇党に加盟し尊攘運動を展開したが、八月十八日の政変以後脱藩して三条実美ら尊攘派公卿に従い長州に入る。以後長州をバックに活動。政局の推移のなかで薩長連合の必要性を感じ、龍馬と共にこれを実現させた。1867年土佐藩より脱藩を赦され、在京の浪士を集め、土佐藩の遊軍として京都で陸援隊を組織し武力討幕を目指したが、同年11月京都近江屋に龍馬を訪ね会談中、見廻組に襲われ絶命した。


 1823〜99 享年77
石高41石余の貧しい旗本の家に生まれた勝海舟は、努力して蘭学・兵学を学び西洋知識を磨く。又剣術も達者であった。その才はやがて幕府や薩摩藩主・島津斉彬らに認められるところとなる。日米修好通商条約批准のためポーハタン号の護衛として咸臨丸で渡米(福沢諭吉も乗船)。
帰国後、神戸海軍操練所を設立。早くから幕府の衰退を見抜き開国の必要性を説いてきた海舟は、坂本龍馬らの若い力を育てる一方、自らは幕府に残り日本の将来を見据え奔走した。官軍江戸攻撃の一日前、西郷隆盛と歴史的平和交渉を行い、江戸無血開城を実現した。

1835〜69 享年35
武蔵国多摩郡の農家に生まれる。江戸の天然理心流近藤周助の門弟となり、近藤勇と出会う。1863年、将軍徳川家茂上洛にともなって組織された浪士組に近藤道場の仲間と共に参加。京都に残留し、近藤勇とともに新撰組の結成に加わった。近藤が新選組局長となると土方は副長の地位に就き局長の右腕として京都の治安警護維持にあたる。1867年には幕臣に取り立てられるも、間もなく幕府は事実上崩壊。戊辰戦争以後も各地を転戦。5月11日、五稜郭の戦闘でついに銃弾に倒れる。


 1839〜67 享年27
萩藩士。柳生新陰流免許皆伝。吉田松陰のもとで学ぶ。幕府使節船で上海に渡り「植民地」の悲惨な現状を見る。帰国後は尊王攘夷運動を展開。イギリス公使館を焼き打ちする等過激な行動に出る。63年身分に寄らない画期的な軍隊・奇兵隊を組織し、翌年の四国連合艦隊下関砲撃事件では、藩の正使として和議交渉全権を担う。長州藩の保守派を排斥し藩論を倒幕に統一すると、坂本龍馬を仲介に薩長同盟を締結。66年の第二次長州征伐では幕府艦隊を退け、幕府の権威を大きく失墜させた。

1842 (44?) 〜68 享年25〜27
9歳ごろ江戸の天然理心流試衛館に入門。近藤周助の内弟子となる。
近藤勇や土方歳三と同門。十代で天然理心流の免許皆伝となり20歳で試衛館の塾頭となる。1963年、近藤・土方らと共に浪士組に参加、京都に残留し新撰組を結成。近藤が局長となると、副長助勤筆頭、一番隊隊長として活躍。新撰組の中でも一、二を争う剣豪であり撃剣師範等も務めた。新撰組にとって重要な任務を遂行したが、肺結核により第一線を離れ、25〜27歳という若さで死去。





発送スケジュール


2012年 4月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30
             
2012年 5月
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
             
  休業日(特にお急ぎのお客様は予めお問合わせください。)
  通常の態勢ではございませんが、発送業務は行っております。

リンク

24時間注文OK! 配送料金について 国内一律500円 5000円以上のお買い上げで送料無料

月〜土曜日発送!お届け時間指定 午前・午後・夕方・夜間

営業時間9:00〜18:00(月〜金曜日)
支払い・配送について詳しい情報を見る
お支払いについて:各種クレジットカード・銀行振込・代金引換・郵便振込